沖縄の太陽を浴びていました
1985年2月に沖縄県那覇市で生まれ、「大きく記すことのできるような人間になって欲しい」との願いを込めて、「大記」と名付けられました。
兄弟はいなく一人っ子でしたが、近所に一つ年上の従兄が住んでおり、兄弟がいるような生活を過ごすことができました。
その当時はいわゆるワンパク坊主で近所の子供たちと毎日のように「ドロケー」をし、「ハイビスカスの花びら」や「ガジュマルの木の葉」を笛にして吹いて過ごしていました。
ちなみに初代ポケモン世代なので、ゲームボーイの通信ケーブル片手に友人の家を渡り歩いたりもしていました。
憧れ抱く、幼少期
小学生の頃は動物図鑑を愛読していたり、TV番組の「生き物地球紀行」や「どうぶつ奇想天外」を毎週欠かさず見ていたり、学校の生き物係には率先して参加したりするほど生き物が好きでした。
インコやハムスター、熱帯魚など色々な種類のペットを飼育していましたが、その当時住んでいた家は賃貸マンションであった為、犬と庭で遊ぶことのできる従兄宅の一戸建てに子供ながら憧れを抱いていました。
それでも新居に移り住む際には、思い出の詰まった住まいから離れることを淋しく思い、夜ひっそりと涙を流したことは懐かしい思い出です。
新居は入居するその日に初めて見ることとなり、「引っ越しをする事」「転校はしなくて大丈夫な事」以外は何も教えられていませんでした。
それでもすんなりと新居を受けいれる事ができたのは、念願の自分の部屋を持つことができるという嬉しさの方が勝っていたからだと思います。
「 I ♡ 埼玉 」
草加市にある「獨協大学」へ進学の為、沖縄県を離れ埼玉県へ上京。
電車の無い沖縄県で育ったため、上京したての頃は駅の改札を通るときはいつもドキドキしていました。
大学では法律学を学びながら、休日は都内へ買い物に出たり、レジャーや温泉に行ったりと、沖縄県とは違い、電車でも車でも他県へのアクセスのしやすい埼玉県の立地の良さに感動を覚えました。
どこか落ち着ける土地柄に惚れ込み、大学卒業から現在に至るまで、十余年の期間を埼玉県民として過ごし、気づけば埼玉が第2の故郷となりました。
伝えたいことがあります
ベルハウスへ入社以降、数多くのご家族とお話をさせていただきました。
皆さまそれぞれの希望や期待を持たれており、色々な話をお聞かせいただきました。
その中の、とあるお客様の家探しのお手伝いをしていた時の事。
物件の内覧をして、資金面のお話も終え、無事にご契約へ。
契約を終えたお客様が一言、「當間さんから家を買うことは決めていました』
私は営業として、当社の家を気に入っていただく事はもちろん嬉しいのですが、何よりも嬉しいことはそのお客様の家探しに一番近いところでお手伝いができ、そしてそれを喜んでいただけることです。
また別のお客様はこのようにお話されていらっしゃいました。
「家を買うという事は家そのものも大事だが、誰から買うかということも大事」
その言葉をお聞きして自分の仕事の責任の大きさと同時に、やりがいを覚えたことを今でもはっきりと覚えています。
当社の家に住みたいと思っていただきたいと同時に、よりご満足いただけるようなお手伝いがしたいという気持ちが一層強くなっていきました。
それでは、『私はお客様の為に何ができ、安心してお住まい探しをしていただけるのか』
このことを常に胸に置き、お客様に信頼していただけるような人間になれるよう、日々心掛けております。
出会いを大切に
お引き渡しを終えたお客様のお宅にお邪魔させていただく事がありますが、ご内覧の時は「物件」だった家が、「マイホーム」に変わっているところを見ることが楽しみとなっております。
リビングでお子様が遊んでいたり、ご主人様と奥様が楽しそうに会話をされている姿を見ていると、とても嬉しい気持ちになります。
以前、お引き渡しの時にプレゼントしていただいたお子様が描いてくれた私の似顔絵やお手紙は、今でも見るたびに笑顔になってしまいます。
幸せになるためのお住まい探しをお手伝いできるこの仕事は、多くの喜びに溢れていると思いますし、私はそういった仕事に従事できることに誇りを持っております。
ご縁があってお話をさせていただく機会がございましたら、なんでもご相談ください。
ご不安なことや悩みを一つずつ解決していきながら、「夢のマイホーム」をお決めいただけるよう精一杯お手伝いさせていただきます。
私と一緒に素敵なお住まいを探しましょう。
Staff Profile
當間 大記
TAIKI TOUMA
業務
営業部 係長(宅地建物取引士)
出身
沖縄県
家族
妻
趣味
卓球・家事全般
特技
マイク無しカラオケ
一言
お客様が笑顔になっていただけるよう心掛けて接客をしています。
Staff Blog